自分から要求を言えない子ども

最近、年中や年長になっても、自分の要求をきちんと言えない子が増えています。

喧嘩とかいじめの報告はできても自分に都合の悪いこととか、友達の手前恥ずかしいこととかになると、どうしても口が重くなってしまうようです。

忙しい毎日、ついつい子どもの要求を先回りして叶えてあげてしまってはいませんか。

自分が困っているとき、手助けして欲しいとき、「やってください」とか言えるって、どんな勉強よりも大事なスキルです。

困っていることの内容がわかっても、すぐには手を出さないで、見守りましょう。

自分でどうにかできるかの判断から、できなかったらどうするか?と言うことを年中以上ではもう自分で考えさせるのが大事なのではと思います。

急いでいるときや、どうにも言えなさそうなときは「やって欲しかったら言ってね」「どうして欲しいのかな?」とか、さりげなく助け舟を出してもいいですが、言うかどうかの判断は本人に任せましょう。

自分で判断するということ、学校に行く前から少しずつ、できる範囲で経験を積むことは、子どもの成長を助けます。時間かかるし、ママによっては冷たい対応だと捉える方もいらっしゃるかもしれません。でも、子どもはいつまでも私たちの手元にあるわけではないし、どんどん自分だけの世界を広げていっているのです。一人で歩いていくわが子にお守りをあげるつもりで頑張ってくださいね。

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子どもと「死」の概念

たびたびこのブログにきてくださっているumisora_earthさんがご自身のブログで、お嬢さんと交わした「ママに会えなくなる」というお話を読んで、私自身が担任していた子どもたちに話したことを色々思い出しました。
MAMA @ WORK:「ママに会えなくなっちゃうんだよ」.

それは年中の男の子。
ある日同居していたおじいちゃんが亡くなり、しばらく園をお休みしました。
その後いつもと変わりなく登園していたので特に気にかけていなかったのですが、1週間後くらいにお母さんがお迎えのついでに切り出しました。
「おじいちゃんのお葬式以来、家で死ぬとか殺すとかいう単語をやたら言うようになってしまったんです」

彼の中でおじいちゃんの死は衝撃的な体験だったのでしょう。集まった大人の話から「死ぬ」「病気に殺された」とかそんなことを聞いていたのかもしれません。

そのお話があってから、彼の言葉をなるべく聞き漏らさないようにしていると確かに「死んじゃう」という言葉が会話の中に出てきます。
でも、前後の様子からそれほど「死」の意味をわかっていないようです。そもそも、よくわかっていれば子どもとはいえ友達の前で「死ぬ」という言葉は使わないだろう・・・・・

それからに三日後。
保育室で飼っていたクワガタが死んでしまいました。
クワガタさんには申し訳ないけど、絶好のチャンスがめぐってきました。
クラスの皆が庭先に集まったところでクワガタのお葬式を決行しました。
クワガタさんをそっとティッシュで包んで土に埋め、木の枝を立ててお墓を作ったのです。
その後皆でお墓を囲んで手を合わせ、クワガタさんが天国に迷わずいけるようお祈りします。
「天国ってなあに」
「死んだらどうなるの」

私だってもちろん未体験ゾーンですので、「先生も見たことはないけどね、」と前置きして話しました。
「死んでもね心、魂は死なないんだよ。お空をゆっくり上っていって魂の国に行くんだよ。それが天国。皆もいつかおじいさん・おばあさんになってその時がきたら行くんだよ。ずーっと先の話だけどね・・・」
「怖くはないんだよ、そのときはおじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さんもいるし、先生も(?)いるかも」
「生きている人は、死んだ人(この場合はクワガタだったけど)が迷わず天国にいけるようにお祈りをしようね」

皆、真剣そのもの。一生懸命手を合わせています。もちろん件の彼も。

お帰りの際、お母さんにそのことをお話しました。
そしてその後、彼が「死ぬ」とか言うことはなくなったそうです。
おそらく彼の中で「死」という概念が子どもなりに正しく形成されたのでしょう。
「死」の概念は非常に難しく、私たち大人自身そのことが身にせまるまでなかなか考えられないですよね。
まして子どもにいくつくらいでどのように話すかは、本当に難しいですよね。

彼のように身近な方がなくなったときに、よくよく話して聞かせるのもいい機会かもしれませんね。

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